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鹿児島地方裁判所 昭和63年(ワ)574号 判決

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 亀田徳一郎

被告 鹿児島県

右代表者知事 土屋佳照

右訴訟代理人弁護士 松村仲之助

被告 乙山春夫

右訴訟代理人弁護士 山下正一郎

主文

一  被告鹿児島県は、原告に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和六二年六月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告鹿児島県に対するその余の請求及び被告乙山春夫に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告鹿児島県との間ではこれを六分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。原告と被告乙山春夫との間では原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告(請求の趣旨)

1  被告らは、各自原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和六二年六月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和六〇年四月鹿児島県立鹿児島南高等学校(訴外学校という)に入学し、同六三年三月同校を卒業した。

2  被告乙山春夫(以下単に「被告」ということがある。)は、原告が右訴外学校に在学当時、同校に勤務する生徒指導係の教員であった。

被告鹿児島県(以下「被告県」という。)は、被告乙山が職務執行中の不法行為により原告に損害を被らせた場合に、国家賠償法による賠償責任を負う地方公共団体である。

3  不法行為

原告は、昭和六二年六月二日午前九時四〇分頃鹿児島市上福元町五二五五番地所在訴外学校内生徒指導室において、被告より、学校に無断で原動機付自転車の運転免許を取得したことに対する体罰として、頭髪をつかまれたり、両平手で顔面、頭部を乱打されるなどの暴行を受けた。原告は、右暴行により頭痛、めまい、吐き気、耳痛、耳鳴を伴う傷害を被り、専門医の治療を受け現在も治療を継続しているが、なお外傷性耳鳴、難聴に悩まされている。

原告が右暴行、傷害を受ける前後の事情は次のとおりであった。

(一) 昭和六二年六月二日、被告から呼出しを受けた原告は、朝八時五分頃学校に行き、八時二〇分頃から生徒指導室で被告の指導を受けた。被告は、最初五分か一〇分説教し、その後反省文を書くことと、書いた後は正座をしておくようにと申しつけ指導室を出た。原告は被告の言いつけどおり、反省文を書いた後に、指導室の床に正座をして九時三五分頃まで、被告が一時限目の授業を終えて帰って来るのを待っていた。

(二) 被告は右入室後、「反省したか。」と問い、原告は、「自分のしたことの重大さをちゃんと自覚しないで、適当なことを言ったということは悪い。」と反省を述べた。被告は、右反省を聞くや、原告を正座させたままの姿勢で、いきなり左右の平手で原告の頭から頬、耳の辺りを八回以上殴り、原告が体が揺れるので右手をついてしまったところ、こんどは左手で原告の右の髪の毛を掴んで、右の平手で更に同じ位の回数叩いた。原告の頭髪は三つ編がバラバラになった。

(三) 原告は昼頃に母松子と帰る自動車内で頭痛が始まり、耳鳴と吐気がした。体罰の六日後の六月八日に天辰病院へ行ったときは、右耳のキーンという耳鳴りであった。同月二〇日と七月一日にも同様の耳鳴があった。現在においても耳鳴、難聴に悩まされている。

4  損害

原告が教師である被告の常軌を逸した暴行、傷害行為により受けた精神的な打撃、傷跡は、現在も癒されていない。そして、右打撃が慰藉される機会もないままに、被告乙山と学校側の教育者、教育機関としての誠意のない態度を見せつけられることによって、原告の精神的打撃は増強された。これらによって原告が受けた精神的打撃に対する慰藉料は二〇〇万円が相当である。

5  責任

(一) 被告乙山は、原告に対する直接の不法行為者として損害賠償責任を負う。被告乙山は、被告県が国賠法によって責任を負う場合、公務員個人は責任を負わない旨を主張するけれども、公務員に故意又は重大な過失があれば、個人も責任を負うべきであり、とくに本件におけるように、法律によって体罰を禁止されているのにこれに反した事案においては、公務員個人も責任を負うと解すべきである。

(二) 被告県は、被告乙山が職務を行うにあたって故意に被らせた損害につき、国賠法一条一項の賠償責任を負う。

6  よって、原告は被告らに対し、損害賠償として各自金二〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六二年六月二日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被告県の答弁

1  第1項及び第2項を認める。

2  第3項を否認する。但し、被告乙山が原告主張の日(但し時刻は午前一〇時頃)、原告主張の場所において原告の側頭部を平手で叩いたことはある。

被告乙山がその行為に及んだのは、原告が学校に無断で原動機付自転車の免許を取得したことに関し、さきに被告に対し取得時期を偽って述べていたことにつき説諭を行ったところ、原告が詫びる気配もなく、返事さえしないので、その反省を促すためであった。またその態様は、原告の髪を左手でつかみ、右平手で前方から左側頭部を二回にわたり、それぞれ二回ないし三回叩いたのであるが、その程度は、相手が女生徒であるから手心を加えており、「乱打」とか「常軌を逸した暴行」というのは誇張である。現に右体罰の後に、原告は時間をかけて反省文を書いている。原告主張の耳鳴が発生したことには疑問があり、仮に発生したとしても本件体罰によるものではない。次に難聴は、本件証拠によると器質的障害によって発生したものでないことが明らかであり、心因性の難聴とすれば、本件体罰によるものではない。

三  被告乙山の答弁

1  第1項及び第2項を認める。

2  第3及び第4項を否認する。但し、原告を叩いたことはある。その経緯は後に述べるとおりである。

四  被告乙山の主張

1  原告の請求は、公務員たる被告乙山が、その職務を行うにつき不法行為によって原告に損害を与えたとして、公務員である被告個人に損害賠償請求をなしているものであるが、右のような場合には被告県がその被害者に対して賠償の責に任じ、公務員個人はその責を負わない。

2  被告が原告を殴打した前後の経緯は、次のとおりである。

(一) 昭和六二年五月末日頃、普通科三年に在学していた原告が、学校に無断で原動機付自転車の免許を取得していたことが判明したので、当時補導係をしていた被告乙山が、原告を呼び調査したところ、原告も無断で免許取得をした事実を認め、取得の日を昭和六一年一二月二四日と申告した。

(二) 六月一日、補導係会を開き、原告の今後の指導措置を話し合ったが、原告申出の免許取得の日について疑問が出されたことから、再度事実関係を調査することとなり、その結果、原告の免許取得の日は、昭和六一年一〇月二一日であることが判明した。

(三) 同月二日九時三〇分頃、被告は原告を呼び、同校指導室において事情聴取をすることとした。被告は一時限目の授業を九時三五分に終え、九時四五分から同室で原告を椅子にかけさせ、訓戒の為話を始め、「免許取得の日時についてどうして嘘をついたのか。」等の点について原告と話し合おうとした。しかし、原告が全く返答をしなかったので、被告は原告に反省させる為に、種々説得活動を続けたものの、相変わらず何の回答もしないばかりか、横を向いて反省の色を示す様子が全くなかったことから、被告は原告の髪をつかみ、右平手で原告の左側頭部をはじめに三回叩き、一呼吸おいて、二回か三回くらい叩いた。髪をつかんだ点も、髪の毛を引っ張るというより、頭が動かないようにする位のつもりでつかんだもので、又、女生徒であることから頭の横側だけを合計五、六回くらい、叩く音もでない程度に叩いたものであった。

(四) その後、原告をいろいろ諭したところ、原告は「反省記録」に、学校に風邪と偽って帖佐に免許取得に行った件や、嘘を言った件の反省を書き、午後一時半頃、母親にも来てもらい、帰宅した。

(五) 以上のとおり、被告の殴打は、体罰というより事実上の懲戒の気持でなしたものであって、原告にもし何らかの症状があるとしても、被告の所為との間には因果関係はない。

第三《証拠関係省略》

理由

一  請求の原因第1項及び第2項の事実は当事者間に争いがない。

二  被告が昭和六二年六月二日の午前中に、生徒指導室で原告の側頭部を平手で叩いたことは当事者間に争いがないが、その経緯や時刻、程度、発生した結果などには争いがあるので、以下検討する。まず、右平手で叩いた経緯、時刻、程度についてであるが、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

1  訴外学校では、原則として在校生に原動機付自転車の運転免許の取得を許可していない。原告は、右許可を受けることなく、昭和六一年一〇月二一日に、風邪をひいたと偽って学校を休んで、姶良郡姶良町帖佐にある県の自動車運転免許の試験場へ赴き、免許を取得した。原告が運転免許を取得したことは、その後学校側の知るところとなり、同六二年五月三〇日に、補導係の被告乙山から事情を聴取された。その際原告は、右帖佐へ行った時期を、昭和六一年一二月二四日の終業式終了後と答えた。右当日原告は懲戒処分保留のまま、自宅待機を命じられた。ところが、学校では右二四日には時間的に運転免許を受けることができないのではないかとの疑問が出され、六月一日に被告乙山が原告の母親松子に問い合わせた結果、前記一〇月二一日であることが判明した。

2  原告は、六月一日に電話で被告(或いは被告の依頼により原告の担任である丙川夏夫教諭)から呼出を受けて、六月二日の午前八時過ぎに登校し、指示されたとおり生徒指導室の前で被告を待ち受けた。同日の八時二〇分から八時三〇分までの職員朝礼で、六月三〇日(或いは同月三一日)から一週間の自宅反省の処分が決定された。被告は右朝礼後八時三〇分頃に指導室で原告と会い、事情聴取を始めた。まず被告は、免許取得の年月日を再度問うたところ、原告は答えなかった。松子から聞いた話も伝えて、何故嘘をついたのかと聞いたところ、原告は已むなく一〇月二一日であることを認めた。被告は嘘をつくことが非であることをさとしたうえで、一時限の授業をするために八時四五分頃までには同所を出たが、その際五月三〇日に書かせた反省文を渡し、これを参考に再度反省文を書くように求め、書いた後は正座して待っているように指示した。原告は被告の指示に従って反省文を記入し、その後正座して被告を待った。被告は九時三五分に授業を済ませると、右指導室に戻って、再び説諭を続けたが、原告が不貞くされて真摯な反省の態度を見せなかったため、正座している原告の側頭部等を右の平手で数回殴打し、更に左手で頭部を押えて動かないようにしたうえ、右の平手で数回殴打した。その後一〇時頃に、松子が被告(或いは被告の依頼により丙川)の指示に従って来校したので、被告は先に生徒指導室へ入るように指示し、その後に自らも入室して、指導室内のソファーセットで四〇分位経過を説明した。更にその後に、藤田教頭と副担任の時崎教諭も入室して、前記家庭反省措置を言い渡した。その際原告は、ソファーの後に立っていた。原告と松子は、松子の運転する自動車で一二時頃に下校した。

三  右認定に対し、被告が供述するところの骨子は次のとおりである。すなわち、原告の出頭時刻は九時三〇分頃と指定した。九時四〇分頃から自習机をはさんで指導を開始したが、原告は一二月二四日に免許をとったのではないことを素直に認めようとはせず、不貞くされていた。一五分から二〇分間位反省を引き出そうと努めたが効果がなかったので、二〇分間位正座させたうえ右手の平手で数回軽く叩くことを繰り返した。その後用紙を渡し、反省文を書かせた。松子は一時三〇分頃に来校し、被告が四〇分位かけて経過を説明し、教頭が指導措置をとった後、二人は下校した。

四  しかしながら、被告の右供述には次のような疑問がある。《証拠省略》によると、右当日の午前中は、被告は一時限目(午前八時四五分から九時三五分まで)と四時限目(一一時四五分から一二時三五分まで)の授業があったから、九時三五分頃から一一時四五分頃までは、一応原告の指導に充てうる時間であり、職員朝礼が八時二〇分から八時三〇分まで行なわれるので、同時刻から八時四五分までの間も同様であった。ところで、被告は前日自ら或いは丙川を介して松子に登校を求めたが、被告が供述するところによると、松子が登校したのは一時三〇分頃であり、特に遅く来た旨の供述をしていないところよりすると、松子にはその頃に登校を求めたものであろう。しかし、被告は原告が免許をとりに出かけたのが一二月二四日ではなく、一〇月二一日であることを確認していたから、あとは説諭し、反省文を書かせる程度の指導を考えていたはずであって、それ程時間がかかると予想してはいなかったと思われる。被告は、反省文を書くためには二時間位かかると述べるけれども、当日の反省文は、全体で約一二〇〇字足らずの短かい文章であり、その前半は三〇日の反省文とほとんど同じであって、後半も深みのある反省ではなく、清書の時間を入れてもそれ程時間がかかったとは考えられない。二〇分前後、せいぜい一時間以内で書けるような内容である。従って、松子を一時半に呼び出したとすれば、その間に四時間もあることになり、その時刻の指定はとうてい合理的な選択とは思えない。また、原告の昼食について配慮がなかったことになる。時間の点に関していえば、八時三〇分頃に原告を登校させ、一時限目に反省文を書かせておき、説諭後一〇時頃に松子を登校させ、一定の注意を与えた後に下校させるというのがはるかに自然である。してみると、原告が被告から叩かれた後に反省文を書いたとして、そのことから殴打の程度は軽かった筈であるとの主張は、根拠がない。また、当日の行動枠についての誤った供述は、殴打の程度についての供述の信用性を減殺するとみるべきであろう。もっとも、当裁判所は殴打に関する原告の供述をそのまま信用したわけではなく、他の証拠と比較検討した結果、多分に誇張があると判断し、結局前判示のとおりの認定に留めざるを得なかった。

五  次に、被告の殴打によって、原告主張の傷害が発生したかについて検討する。

1  傷害の発生に関する原告の供述と医療機関の判断及び診療録への記載等を整理すると、次のとおりである。

(一)  六月二日の帰途、松子の運転する自動車内で頭痛、耳鳴、吐気がした。その後も同じ症状が続いた。治療を受けたかったが、家庭反省中の外出をすることになるので、見合わせた。

(二)  六月八日月曜日、天辰病院で受診した。主訴は、被告の殴打による右の耳鳴と頭痛であった。診断の結果は、オージオグラムによる純音聴力検査が左七・五デシベル、右一二・五デシベルで正常であり(正常な範囲は概ねマイナス三〇デシベルからプラス三〇デシベル)、両方の鼓膜に異常がなく、鼻腔と咽頭粘膜が赤くなっているというものであった。診断名は外傷性耳鳴と神経性難聴の疑いであるが、前者は原告が本件殴打以来耳鳴がすると訴えたために付した病名であり、担当の宮崎医師が確知したものではない。なお、耳鳴は本人が自覚するだけで、他者が何らかの装置を用いて知ることは出来ない。後者は、耳鳴がある場合は難聴を伴うことがあるため、保険金請求の便宜上付したものであり、検査結果によれば、むしろ疑いがなかったのである。

(三)  六月二〇日と七月一日も同病院で耳鳴を訴えたが、鼓膜はほとんど正常と判断され、その他異常は発見されなかった。

(四)  六月二六日における学校の一斉検診では、三宅医師によって、聴力は正常と診断された。

(五)  一〇月二〇日頃から一二月二二日まで、腰椎捻挫で天辰病院で入院治療を受けたが、耳の疾患については何も訴えてはいない。

(六)  七月から一二月末頃までの間に、丙川は二、三回松子に電話をし、学校では原告から月に一度位様子を聞いていたが、その度に耳鳴を訴えられたので、治療を受けた方がよいのではないかと意見を述べた。しかし、原告は医療機関へ行かなかった。

(七)  一二月二八日、松子が学校で藤田教頭と丙川に依然として耳鳴が続いていることを訴えた。

(八)  六三年一月八日に天辰病院で受診した。主訴は七箇月前から両耳鳴があり、左耳のきこえが悪い、難聴ということであった。診断の結果、両耳とも鼓膜は正常、鼻粘膜は正常、耳殻が赤く腫れている。咽頭粘膜に異常なし、オージオグラムは左一七・五デシベル、右二八・七五デシベルで、ともに正常範囲内、ということになった。

(九)  昭和六三年二月一五日と二九日に鹿児島大学付属病院耳鼻科で受診した。主訴は両側の耳鳴と難聴及び耳痛であった。右両日における純音聴力検査では、左右の気導聴力と骨導聴力が一二五ないし八〇〇〇ヘルツの各音域で30ないし50デシベルとなっており、難聴の数値を示した。しかし、両日に亘る脳波聴検(ABR)は正常、SISIテストでは補充現象がみられなかった(陰性)、ティンパノメトリーにより鼓膜可動性が正常となった。右のテストのうち、ABRとティンパノメトリーは、被検者の意思を介さないテストであり、純音聴力検査は被検者が聞こえたか否かを報告することによって判別するテストであり、SISIテストは、音量のわずかな変化を感じるか否かを報告するテスト(感じないのが正常)である。以上の診断から、原告の聴覚には器質的な障害がないと診断され、純音聴力検査の結果につき、心因性難聴と診断された。

(一〇)  原告は、六三年三月三日から鹿児島市立病院の耳鼻科の診断を受けた。主訴は両耳の難聴と耳鳴であった。同日の純音聴力検査では、平均聴力(単位はデシベル)が、四分法で右四七・五、左五〇・〇、六分法で右四九・二、左五一・七であった。その後も何度か診察を受けたが四月五日の純音聴力検査では、平均聴力が、四分法で右五三・八、左五七・五、六分法で右五五・〇、左五九・二であった。更に四月二六日には、右各数値が、四分法で右四五・〇、左六二・五、六分法で右四六・七、左六三・三となり、一二月二七日には、四分法で右五五・〇、左六五・〇、六分法では右五七・五、左六五・八であった。しかし、他の検査によっては、器質的な聴覚障害を示す数値が出なかったため、結局、両中等度感音難聴の疑い(三月三日付)、両心因性難聴(四月一九日付)と診断された。

(一一)  本件殴打後、原告が難聴のため学校生活に支障が生じたことを認めうるに足りる証拠はない。

六1  以上に検討したことから、次の諸点を指摘しうる。

(一)  原告は、六月二日に頭痛、耳鳴がしたと供述するが、これを裏付けるものとしては、松子の証言があるのみである。しかも、謹慎中は通院も出来ないと考えて病院へは行っていない。

(二)  六月八日から七月一日まで三回天辰病院で診察を受けたが、主訴は耳鳴と頭痛であって難聴を訴えてはおらず、聴力検査でも正常であった。

(三)  同年一二月末頃まで、原告或いは松子は耳鳴があることを丙川には訴えたものの、治療機関に行ってはいない。

(四)  一二月の二八日頃に松子が藤田教頭に訴えたのは、耳鳴のことであった。

(五)  六三年一月八日に天辰病院で耳鳴、難聴を診て貰ったが、聴力検査の結果は正常範囲内であった。

(六)  二月一五日以降、鹿大病院と市立病院で診察を受けたときには、聴力が相当程度低下している診断がなされたが、その器質的な原因は不明であった。

2  ところで、もし本件殴打後に原告に難聴が発生していたとすれば、天辰病院で訴えていたはずであるから、六月八日から七月一日までの間は難聴ではなかったと認めるほかない。次に、一二月の末まで医療機関に受診していないところからすると、この間も耳に疾患があったとの原告の供述をたやすく採用することはできない。してみると、一二月の末頃から難聴が始まったとすると、被告による殴打の約七か月後に発症したことになるが、そのように認定することは、経験則上慎重であるべきであろう。しかも、聴力喪失の機序が明らかになってはいないのであるから、前記のように中程度の聴力喪失を本件殴打によるものと認めることにはちゅうちょせざるをえない。

もっとも、耳鳴と耳痛は当初から訴えていたわけではあるが、天辰病院では、それを裏付けうるような徴候を見出してはいない。七月一日以降は、一二月までどこにも受診してはおらず、又それまでに処方された飲み薬も副作用があるとして途中から飲まなかったというのであるから、訴えにかかる症状がどの程度であったかは、判然とはしない。

3  ここでひるがえって、被告がなした殴打の程度について検討してみる。まず、長期に亘って頭痛、耳痛、耳鳴、難聴を発生させるような殴打は、経験則上相当に強度のものとみるべきであろう。ところで、被告は当日一〇時頃に松子を呼んでいた。従って、強打した場合、原告に生ずる身体上の変化を母親に知られる可能性が大きい状況のもとで殴打したのであって、殴打することになった直前の事情は必ずしも明確ではないが、全体としては、自と自制心が働く状況であったと考えるべきである。また、平手で耳の周囲を強打した場合、その箇所に発赤の生ずることが考えられるが、松子は気がついてはいない。なお、証人松子は、当日原告と会った際、「ソファーに手をついて、ぼんやりした状態でやっと立っていた。顔面蒼白で、目が座っていた。髪の毛がひどく乱れていた。原告は、『被告から叩かれた。七、八発までは数えたが、あとは頭から血が引いていく感じがした。』と言った。」旨供述するが、引き続く被告らとの対話の中では殴打のことについては何も述べなかったとも供述するのであって、果して原告と会ったときの状況が述べるとおりであったかは疑問がある。また、六月五日頃に家庭反省を解かれる際、松子は原告とともに登校して今村校長らから説明を受けたが、このときも殴打の件については何も述べなかった。右のとおり検討すると、被告の殴打の程度がそれ程強烈であったとは推認しにくい。

七  以上のような、殴打するに至った前後の事情及び殴打後六三年三月頃までの治療と訴えの事情等を総合して考えてみると、原告は被告の殴打によって、昭和六二年七月一日頃まで、耳鳴の傷害を受けたと認められるけれども、さらにそれ以上長期に亘って、耳の機能の低下(耳鳴、耳痛、難聴等)を受けたとまで認めることはできず、その後の松子と丙川への耳鳴の訴え及び翌年二月から三月にかけて受けた難聴との診断は、これを肯定しうるとしても心因性のものであって、本件殴打と相当因果関係のある傷害とは認め難い。

八  なお、右の判断にあたって、原告は、学校が校医である三宅力(代筆中村教子)の鹿大病院への紹介状によって、あたかも原告は存在しない疾患を言い立てているので、鹿大病院の権威でもって疾患の存在しないことを分らせてほしい旨を記載し、診断に偏見をもって臨むように仕向け、又鹿大病院もこれに応じた旨を主張するので、この点に触れておく。確かに、乙第一号証中の昭和六三年二月六日付中村教子医師作成名義の御依頼と題する書面には、原告の訴える症状を学校が認めていないことを前提としたうえ、鹿大病院の権威ある診断で原告が納得するように仕向けて欲しいと理解しうる文言がある。右文言は、直接には中村が作成したものであるが、藤田教頭と被告が三宅医師に紹介状の記載を依頼し、三宅がこれを三宅医院に勤務する中村に作成を命じたものであるから、学校からの依頼の雰囲気を反映していると推定される。そして、《証拠省略》によると、一月の末の職員朝礼の後に、三島生徒指導部長が藤田教頭に対し、本件体罰に触れながら、類似のケースにつき心因性の耳鳴ということで処理したことがあると言ったので、これを傍で聞いた丙川が、医者でもない者の入れ知恵はよくないから聞かなかったことにしておくべきだと意見を述べたこと、及び藤田教頭が紹介状(依頼書)の入った封筒を丙川に渡す際、丙川が右のやりとりを踏まえたうえで、余計なことは書いてないでしょうねと念を押したところ、藤田は戸惑った様子をみせ、少し間をおいて「ええ」と答えたことが認められ、これらの事実からすると、教頭らの三宅に対する説明が一面的であった可能性がある。ところで、右文言は原告の訴えがいわば詐病であるかのように理解しているとも解され、診断者に予断を与えかねず、相当とはいえない。しかしながら、鹿大病院における診断は、原告の訴えをよく聞いたうえで、前記各検査をなし、心因性難聴と判断したものであって、診察にあたった証人清田の証言中、とくに不自然な点は認められない。もっとも、《証拠省略》中には、清田は診察後何ら異常がないとか、気のせいであるとか、原告の訴えをとりあわないような応答をした旨の部分があるけれども、心因性難聴との判断に達したあと、原告の心配を取り除こうとの目的のためになした発言を、そのように受け取ったとも考えられること、及びその後原告が自主的に受診した市立病院の診断結果とも基本的に符合していることよりすると、右依頼状の記載が鹿大病院での診断を歪めたと認めることはできない。

九  以上に判断したところによると、被告は原告を指導するために、懲戒の一つとして殴打としたと一応云うことができるけれども、学校教育法一一条但書が禁止する体罰に該当する違法な行為であり、これによって原告に生じた損害を被告県は賠償する責任がある。そうして、原告は精神的損害を受けたとして慰藉料を請求するので、以下この点について検討する。

1  《証拠省略》によると、原告はもともと動作が活発であったが、本件体罰後は、顔色が悪くなり、動作に鈍い面が見られるようになった。

2  本件体罰当時、原告は無許可で原動機付自転車の運転免許を取ったことにつき、懲戒を予定され、自宅待機を命じられていた。本件体罰は、その自宅待機中の事情聴取の際に、免許の取得日が一〇月二一日であるのに一二月二四日と偽ったことにつき、反省を求める行為の途中で行なわれた。事実、原告の態度は不貞くされたものであったから、被告がこれを指導しなければならないと考えたことには理由がある。しかし、免許の取得行為は本来適法な行為であって、学校が一定の要件を定めて許可をするということ自体にも問題はあり、原告が不貞くされたことについても、また取得日を偽らざるを得なかったことについても、それなりの理由があった。もとより、免許取得について学校が加える制限にも合理性がないわけではなく、その当否を判断する筋合ではないが、被告がもう少し深いところで相対していたら、原告の態度は違っていた可能性がある。

3  次に、被告は原告のいわば良心を覚醒させるために体罰に及んだというのであるが、果して高校三年生に対する懲戒として、どれ程効果があるのか大いに疑問である。少なくとも本件においては逆効果であったことは歴然としている。まして、本件は自宅待機中の体罰であった。被告としても、「思わず手が出た」というものではなく、補導係として、指導するために呼出し、反省を求める過程でなしたものである。いまこれを少しでも容認するならば、真面目に反省している態度を示さない生徒には、体罰も已むを得ないということになろう。反省していないからこそ教育が必要となることを厳しく確認する必要があると考える。そうして被告は、生徒を正座させたうえに、平手で側頭部を殴打することが、どれ程人間の尊厳を傷つけ、屈辱感を与えるものであるかにつき、いま一度思いを致すべきである。

4  体罰後の被告の態度も適切を欠いた。被告は、家庭訪問をした丙川から原告の様子を聞かされて、六月五日頃丙川の示唆により松子に電話した際、同人から原告の訴える殴打の様子や体調の変化を聞かされたのに、原告が登校するようになっても、直接事情を確かめたことがなかった。また、松子が同年一二月以降学校に問題を持ち込んで、善処を要望して以来、翌年一月から何度も松子や原告に会う機会があったのに、真摯な反省の態度を示すことがなかった。それのみか、本件訴訟においても、自らのなした行為を体罰とは思っていないと供述している。

5  学校側のとった態度も遺憾なものであった。証人松子の証言によると、今村学校長は、被告の行為を違法な体罰だと判断しながら、六三年一月以降松子が教育委員会に報告することを求めたのに対し、「被告には将来がある」と言って、治療費や見舞金の支払によってことを済まそうとし、報告を避け続けたので、ついに松子が三月一九日に直接報告したため、已むをえずその後に報告するに至ったものであって、違法行為をした被告を庇おうとしたことが認められる。もっとも、今村としては、全体の流れから原告の訴えを詐病であると判断したのかもしれないが、そうであれば学校長の所見として付記すれば足りることであり、仮に傷害が発生しなかったとしても、学校から一掃されることを求められている体罰がなされ、且つその被害者の保護者から教育委員会への報告を求められている以上、報告を懈怠してよいはずがない。また、報告にあたっては、被害者から直接事情を聴取することなく、被告の言い分のみを報告するという偏頗な処理をした。そのためか、教育委員会も、原告から事情を聴取することなく、四月九日に、要旨「被告が原告の髪を左手でつかみ、右平手で左側頭部を二度に亘り、それぞれ二ないし三回叩いた」ことを理由として、文書による訓告処分をなした。ところで、鹿児島市においては、傷害が発生しないにせよ、本件体罰に近い程度の体罰がしばしば行なわれ(傷害の発生は多分に偶然的な要素によることがある。傷害を発生させないためにも、体罰自体を厳禁する必要がある。)且つそのことが学校関係者や保護者の一部で、已むをえないこととしていわば容認されていることは、公知の事実とも言えることを考慮すると(なお、補導係の教師の中には、被告の行動を已むをえなかったとする意見や体罰は絶対にいけないとする校長の考えをなまやさしすぎるとする意見があったとの被告乙山の供述はこれを裏付ける)、原告は、教育関係者が、建前はともかくとして、本音としては本件のような体罰としての殴打(傷害が発生しなかったとして)も已むをえないと考えていると思わざるをえないであろう。このことによる原告の精神的打撃を些少にみるべきではない。

6  以上のとおり、本件体罰自体及びこれによって負った傷害、被告の体罰に及んだ事情と体罰後の態度、被告県の職員である今村の教育的配慮を欠いた言動等によって、原告は相当に大きな精神的打撃を受けたと認められる。とりわけ、被告乙山が原告に対し優越的地位に立つ教師であるだけに、同人から体罰を受け、その後も心底から謝罪されなかったことは重視されるべきである。当裁判所は、右原告の精神的損害を慰藉するには、金三〇万円が相当と考える。被告県は右金員を支払う義務がある。

一〇  原告は、被告乙山に対しても損害賠償の請求をするが、不法行為制度は権利を侵害された者の損害を回復することが目的であるところ、被告県に賠償義務を認めれば、原告の救済として欠けることはないから、請求は理由がない。

一一  よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉本順市)

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